「私の子育て

 

 

平成2297日、愛知県の実家近くの病院で2938グラムの元気な男の子として生まれてきました。生まれてくるなり、おもいっきりおしっこをして元気いっぱい、母も幸せいっぱいでした。

生まれた直後は、上手くおっぱいを飲むことができず、すごい泣き方をする子でした。しかも上を向いて眠ることができず、いつも横向き。布団に寝かすと呼吸が苦しいのか大泣きをして、抱っこでしか寝てくれない状況が続きました。顔も黒くて舌を前方へぺろぺろ出すことから、舌小帯に異常があるかも?と思い助産所に相談しました。舌癒着症の可能性を指摘され、すぐに神奈川県の向井診療所に診察と手術を受ける予約をしました。Y1ヶ月半で手術を受けるまで、抱っこでしか寝てくれず常に私は寝不足の状態でした。しかし手術を受けた直後から1人で寝てくれることも多くなり、息づかいもおだやかになり嬉しい変化を感じました。

首がすわったのがちょうど3ヶ月頃。7ヶ月頃に寝返りをしてから、すぐにつかまり立ちとはいはいをし始めましたが、おすわりはなかなかしてくれませんでした。9ヶ月になり、絵本の読み聞かせをしていたら、自らおすわりをしてくれました。この時、Yはじっとしているのが苦手な性格かもしれないなと感じました。そして11ヶ月で歩きはじめ、とても順調に育ってくれていると思っていました。

歩きはじめると、今度はいつおしゃべりしてくれるのかが気になってきました。児童館でいつも遊んでいた同じ年のお友達は少しずつ単語を言い始めていましたり、指さしもしていて、少しうちの子は遅いのかもと思ったりしていました。児童館から帰るとき、お友達は上手にバイバイをしてくれましたが、Yはバイバイされても反応できず、たまにしてくれても逆さバイバイになっていました。

ママと楽しくコミュニケーションをとっているお友達を見て、Yにはできていないことを不安に思うこともありましたが、児童館の職員さんから「マイペースのYくん」と言われたり、「男の子は言葉遅いよね」等の話を聞き、「そうだよね、きっといずれ話し始める」と不安を打ち消しては過ごす毎日でした。ただ放っておいても平気で長い時間ひとりで遊んでいてくれたので、手がかからない子という印象でした。

結局17ヶ月頃に意味が分かっているのか不明だけれど「いや、いや」という発語がありました。その10日後に「ママ」と2回言ってくれたことに大感激しました、しかし意味を理解して言っているのかはわからず、その後「ママ」という言葉はいつのまにか言わなくなってしまいました。

二人目出産のため実家に帰っていた18ヶ月頃、「せんろはつづく まだつづく」という本が大好きになり、その本の中の列車を指で指す動作をしてくれました。待ちに待った指さしです。その頃、実家にはおない年と二つ上の従兄弟2人がよく出入りしていて、子どもの面倒をよく見てきた両親から「Yは少し変わっているな〜」と言われました。「怒ってもニコニコして、また同じ悪さをする」「散歩に連れていっても、1人で勝手に先に走っていってしまい、後ろを気にすることがない」と従兄弟とは違う点を指摘されましたが、指さしもしはじめたし、きっと個性!!と考えました。しかし、おない年の従兄弟との発達の違いは大きくあることは感じていました。上にお兄ちゃんがいるから、発達が早いのかもとのんきに考えたりしていました。

二人目の娘を出産するため、はじめてY5日間離れることになりすごく心配しました。5日間離れることを話しても、何のことか分かっていない様子で、そのまま入院となりました。娘出産後、Yと久しぶりに会いましたが、嬉しそうにしてくれることもなく、生まれた赤ちゃんにも無反応でした。

2歳になり、1歳半検診で指差しなし、発語2語でひっかかり保健所から呼び出されました。部屋に入ると先生らしい方がYの様子を見て、「自閉症の疑いがあります」と突然言われました。「普通は初めての人を見たら何らかの反応をしますが、息子さんは誰もいないかのようにおもちゃにいきましたよね。お母さんのところに戻ってくるだけでもいいほうです。」と言われ、呆然としました。その日の夜は泣きたくなるような気持ちでしたが、主人とYのために最善のことをしてあげようと確認し合ったことを思い出します。その後、インターネットや本などで自閉症関連の情報を検索する毎日が続きました。そこに書かれている自閉症の特徴は、まぎれもなくYの状態にそっくりでした。逆さバイバイやママの手を引っ張っていって何かをさせようとするクレーン現象も自閉症の特徴の一つに入っていて、Yも何かやってもらいたい時はよくママの手を引っ張ってやらせようとしていたのを思い出し、落ち込みました。そして違う特徴を探し出すと、もしかして違うかもしれない等と淡い期待を抱いたりしていました。

2歳から保健所で紹介されたおやこ教室のりす組に週一回通い始めました。もともとYには人見知りも場所見知りもありませんでしたので、すんなりと通い始めることができました。通い始めてすぐ「Yくん」と呼ばれ両手をあげるなどの反応を示してくれるようになり、少しずつ言える単語も増えていきました。ただ遊びが独特で、チェーンリングを隅にわっさわっさとする行為をずっと繰り返しています。お友達と遊ぶことはほとんどありませんでした。

2歳に入ってから、少しずつ言える単語が増え、2語文が出たのは26ヶ月の頃でした。うみべの奥の部屋で先生と2人で面談をしている時、「ママ、いない!!」と聞こえてきたのです。「まぎれもなく2語文ですね」と先生に言っていただき、本当に嬉しかったのを今でもたまに思い出します。

うみべのりす組に通っていた頃、主人と相談し、3歳で病院を受診してちゃんとした診断を受けようと決めました。診断が出ても可愛い息子であることに変わりはなく、これからの私たちの対応も変わってくると思ったからです。診断名は「自閉症スペクトラム障害」。覚悟はできていたので、すんなりと受け入れることができました。

りす組からちゅうりっぷ組に移り、週4日母子分離で過ごすようになりました。2階から靴下を落として嬉しそうに笑うなど、困った行動はありましたが、先生方に安心して託すことができ、たくさん相談にも乗ってもらって、精神的に母子ともに落ち着いて通うことができた1年間でした。この1年間はチェーンリングを長くつなげて、穴に入れることに没頭していました。まだまだお友達には興味なしといった感じでした。

次に悩んだのが幼稚園をどうするかでした。おやこ教室の先生方に相談したら、「おやこだけにするか、幼稚園にも行くか悩むところですね」と言われたので、悩むくらいなら幼稚園に行かせてみようと考えました。結局、1年目はおやこ教室のひまわり組週1と幼稚園。幼稚園では加配をつけてもらうことができ、安心して通わせることができました。幼稚園2年目に入る頃、担任の先生から年長では加配をなくしてみたらどうかと提案されました。できない時はできないと言いに来るのできっと大丈夫というのが理由のようでした。不安はありましたが更新しないことにしました。年長になり、加配の先生なしですごく心配しましたが、まわりの友達のサポートもあり、問題なく集団生活を送ることができています。ただ2年経ってもお友達の名前が覚えられず、1人で砂や水で遊ぶ幼稚園生活を送っています。

最近の変化はチェーンリングと砂を長時間することがなくなり、ようやく公園では遊具で遊ぶ楽しみに気付いたことです。うんていやブランコが楽しくて仕方がないようです。公園からなかなか出ることができませんが、砂にしか目がいかず、無表情だった以前を考えると本当にうれしく思います。水へのこだわりは未だにありますが、いずれは満足したら自ら卒業してくれるだろうと楽観的に考えることができるようになりました。今年の1月から江東区のプール教室に通い始めました。同じ動作を繰り返してはいますが、先生の指示に従って動くことはできているので、完全には自分の世界に入っていないようで、安心して見ていることができます。習い事はプール以外にもピアノ、サッカー、公文を習っています。すべてやらせてきてよかったと思っています。幼稚園、おやこ教室そして11つの習い事すべてがいい相乗効果を及ぼし合い、今のYの成長につながったと考えています。

サッカーは年中からはじめました。小さいうちに団体のスポーツを経験させたかったことと、先生の指示通りに動いたり、並んだりすることを学ばせたかったからです。最初は隅で寝転んでいたり、つばを周囲に吐いてまわったり、トイレに行ったと思ったら水で遊んでいまい戻ってこないなど、様々な問題がありました。6ヶ月を区切りに続けるかやめるかを決断しようと考え、我慢して6ヶ月続けさせてみました。6ヶ月過ぎても問題行動がなくならず、やる気も見られないので「もうやめよう」と本人に提案したのですが、「やめない」と言い張り、それ以後ものすごく頑張るようになりました。今では「6ゴール決めたよ!!」とすごく満足そうに帰ってくるようになり、大きな成長を見せてくれています。

小学校に入る前に習い事を少し減らそうと考え、プールは引き続き習い、サッカーはやめようと提案しましたが、「サッカーはやめない」「両方やる」と言い張っています。

以前はできないことばかりに目がいってしまい、できるまでスパルタでやらせてしまったりしていました。できないと怒ってしまい、Yも泣くの繰り返し。鬼ママでした。同学年子ができていることを何としてでもできるようにさせないとと、やっきになっていました。最近になり、焦る必要はないということにようやく気がつきました。年長になり、本人がやる気を見せて、自ら頑張ろう、できるようになりたいと思ったとき、ものすごいスピードで習得するということにようやく気がついたのです。その子にはその子のちょうどの時期があって、Yも同学年の子とはできるようになるタイムスケジュールは違っても、必ずできるようになるんだと思えるようになりました。「Y、できるようになったよ!!」と誇らしげに報告してくる息子を見るととても嬉しく思います。今では、笑顔でいてくれるのが一番と思えるようになりました。人と比べてばかりいた母も息子のおかげでずいぶん成長させてもらいました。まだまだこれから様々な問題に直面すると思いますが、Yの無限に広がる可能性を信じ、得意なことをおもいっきり伸ばす育児をしていきたいと考えています。