「私の子育て

 

 

お腹にいたHの心臓が悪いかもしれないと言われたのは201012月、妊娠8ヶ月の時でした。

幼稚園の冬休みに入った4歳の長女を連れて、近くの産婦人科に定期検診へ。長女はお腹にいる弟のエコーを見るのを楽しみにしていました。診察室へ入ると、見たことのない先生で慈恵医大からきている超音波専門医の先生でした。エコー後、先生に「お腹の子は心臓が悪いかもしれません。慈恵医大の詳しく検査できる機械で検査したほうがよいでしょう。明日が大学病院の年内最後の診察日なので、モヤモヤしたまま年末年始を過ごすより、明日診察しませんか。」と言われ、頭が真っ白になりました。そして、「できれば、ご主人と一緒にいらしてください。」と言われ、これはただ事ではないと確信しました。

すぐに産婦人科の入口から主人に電話をして、4歳の長女に涙を見せてはいけないと思いつつも、主人に説明しているうちにポロポロ泣いていました。今思えば、一緒にいた長女は弟のエコーも見せてもらえず、私が主人と電話をしながら泣いていて、不安な思いをさせてしまいました。

その日、先生に房室中隔欠損症の可能性があると聞いたので、自宅に帰ったらパソコンで調べるつもりでした。(房室中隔欠損症というのは本来心臓は4つの部屋に分かれているのですが、4つに隔てていると壁と弁に異常がある病気です。)しかし、主人からパソコンで調べて不安になるより、明日慈恵医大で検査をしてもらって先生に詳しく聞いたほうがいいと調べることを止められました。のちに主人から聞いたのですが、主人は私が電話した時に会社ですぐに房室中隔欠損症を調べて、ダウン症という言葉が出たようで私には見せるわけにはいかないと思い、調べることを止めてくれたようです。

翌日、3人で慈恵医大へ。先生からはやはり完全型房室中隔欠損症で、ダウン症の子に多く見られる症状だと言われ、羊水検査を希望しますかと聞かれました。私達夫婦は生まれてくる前に子供の症状を知りたい、そして心の準備をしておきたいと考え羊水検査を受けることにしました。その年の年末年始はとても正月気分ではなく、私の頭の中はダウン症かもしれないと不安だらけでした。

そして、年明け早々に羊水検査をして、ダウン症の21トリソミーという結果がでました。

病院では冷静に結果を受け止めていたのですが、日に日に考えてしまい涙がでてきてしまうのですが、長女の前で泣くわけにはいかず、毎日お風呂の中で泣いていました。なかなかその現実を受け入れることができず、今思えばHにはとても申し訳ないのですが、何とかならないか…、階段から落ちれば…とか今置かれている現実から逃げることばかり考えていました。ちょうどその時、長女の幼稚園のママ達は妊娠、出産ラッシュで、みんな順調に出産しているのに私だけなぜ?とどんどん落ち込んでいきました。

そして、201134日、H2870gで生まれました。長女の時と違い、泣き声はほとんど聞こえず、すぐに抱っこもさせてもらえませんでした。隣りの部屋で何か処置をされ、戻ってきて少し抱っこをさせてもらった後、NICUに運ばれていきました。

心臓が悪いので哺乳力はとても弱く私の胸から直接母乳を飲むことはできず、そして哺乳瓶からもなかなか飲めず、体重はどんどん減っていき、しばらくは鼻のチューブからミルクと母乳を注入していました。

生後1ヶ月半頃、ようやく生まれた時の体重に戻り、鼻のチューブも取ることができたので心臓の手術をするまで一時退院することができました。

生後36ヶ月の間に心臓の手術をしなくてはいけなくて、手術までに1gでもいいので体重を増やしてくださいと先生に言われました。しかし、心臓が悪いので30ml飲ませるのにも1時間くらいかかり、飲ませる20分前には搾乳して、それを2.3時間おきに行わなくてはいけなくて寝不足が続き、長女の幼稚園行事などもあり、両方の実家も遠く、その頃の記憶はただただ辛かったことしか覚えていません。

自宅で1か月半ほど過ごしたのですが、体重の伸びが悪く、呼吸も苦しそうだ、ということで生後3か月になる少し前に再び入院することになりました。 

そして、生後3か月で心臓手術。朝9時前に手術室に送り出したHに再び会えたのは夜7時でした。集中治療室で大きなベッドに寝かされ、小さな体に数えきれないくらいの管が繋がれたHの姿を見たときは涙が止まりませんでした。術前検査で想像していた心臓の形と違っていたようで3時間心臓を止めていたそうです。

そして、術後麻酔が切れて急に体を動かしてしまうと肺や心臓にすごく負担がかかるということで、薬で2週間眠らされ続け、何日かすると自然に目が少しずつ開いてきてしまうようで、目が乾かないようラップをされていました。動かないし、目にはラップをされているし、いろんな機械が繋がれているし、それはそれは痛々しい姿だったです。

その頃、長女に異変がありました。長女の幼稚園は預かり保育が週に1日しかなく、Hの面会は14時からで子供は入ることができません。5歳の長女を一緒に連れていくこともできないので、私の母に会社を1か月ほど休んでもらい、手伝いにきてもらうことにしました。

長女は小さいころからあまり文句をいうことがなく、安心していたのですが、私が病院ばかり行っていて寂しかったのか、私の母にあたるようになっていきました。自分だけ家の中に入り鍵を閉めて母を外に閉め出したり、幼稚園バスのお迎えにきている母を無視して置いて行ったりと。私の母がいるからママがいないんだと思っていたのかもしれません。私には何も言ってこなかったので母から聞くまで全然気づきませんでした。

Hはというと、2週間後には眠りから覚め、それから3週間ほどで退院をすることができました。退院後は手術前が嘘だったかのようにミルクを飲むスピードが速くなり、嬉しかったです。

Hの体調も落ち着いてきて主治医の先生から普通の生活をしてもいいと言われたので、6ヶ月の時に地域の保健師さんと一緒に第2乳幼児親子教室を見学させてもらいました。

先生方は優しく話しかけてくださり、お母様方もお子さんもニコニコ過ごしていて、この仲間入りをしたいと思いました。しかし、あいにく定員がいっぱいで4月まで待ってくださいと言われ、半年待ちか・・・と落ち込んでいたのですが、先生のご厚意で3か月後の1月から週1回りんご組に通わせていただけることになりました。

H 1歳。りんご組。

通いだした直後から人見知りが始まり、昼食を食べるときに先生と目があうだけで泣いていました。そして、愛の手帳3度を取得しました。

私は同じ境遇のお母様方とお話したり、先生方に支えられ、かなり前向きになりました。

しかし、近所ですが引っ越しをしたり、疲れがどっと出たのか、インフルエンザになり、真っ赤な血尿がでたりと不調が続きました。

 

H 2歳。ぶどう組。

この年のGWには歩きはじめました。21か月でした。

そして、年明けの1月から母子分離が始まりました。連絡ノートを読み返してみると、毎日泣いていたようです。

私は確率は低いけど甲状腺がんかもと病院で言われ、S先生に相談しながら号泣したのを覚えています。Hを預かっていただいたり、話を聞いていただいたりととてもお世話になりました。

 

H 3歳。場所が変わり、第1のちゅうりっぷ組に週4日。Cに週1日。

場所が変わったからか、はじめはやはり毎日泣いていて、お弁当も拒否して食べずに帰ってきたり、みんなが食べ終わってから食べ始めたりでした。

そして、足首が柔らかくて内側にたおれてしまうので、東部療育センターで足底板を作製してもらうようになりました。靴もハイカットを使用しているので本人も歩きやすそうです。

2年経過した現在はけっこう長い距離も歩くようになり、整形外科でとてもきれいな土踏まずができてきていますよと褒められました。

 

H 4歳。前年度と同じくちゅうりっぷ組に週4日。Cに週1日。

前年度と同じ教室なので初めからそんなにためらわずに過ごせたようです。

たまに目が内側によるので検査をしていただき、軽い斜視と遠視で眼鏡をかけはじめました。私が自宅ではずっと眼鏡なので見慣れているせいか、病院で初めて眼鏡をかけた日も夜まで嫌がることなくかけていました。本人的にも見やすくなったようで、表情もよくなり手先の作業も上達したと言われました。今現在も朝から晩まで嫌がることなく眼鏡をかけてくれているので助かっています。

 

H 5歳。ひまわり組に週4日。Cに週1日。

親子教室最後の年です。今年も自分を出さずに固まって静かに過ごすのかと思いきや、先生を見かけると体をぶつけにいったりとちょっかいを出すようになり、声も出すようになりました。自宅でAちゃんやTくんとお友達の名前も出るようになりました。

最近は教室行くよと言うと、H先生のことだと思うのですが、「おはなせんせい」と言っています。

そして、就学相談。Hは穏やかでマイペースな性格、このままのんびりと成長していってほしいというのが家族みんなの願いでした。そんなHの成長に何がベストなのかを考えた結果、城東特別支援学校への進学を希望することにしました。区の教育委員会との面接1回、都の教育委員会との面接1回であっという間に就学相談は終了しました。都の教育委員会との面接の日は特にご機嫌で、最後に1枚写真を撮ったのですが、ニコニコの笑顔でピースしていました。そして、教室を出ると「がんばった」とつぶやいたので、思わず笑ってしまいました。

4月からは城東特別支援学校へ、放課後クラブは亀戸にあるCに決定しました。また新しい場所でのスタートなので本領発揮するまで時間がかかると思いますが、マイペースに成長していってほしいと思います。

 

Hに障害があるとわかったとき、何よりも長女のことが心配でした。いじめられたりしないか、受け入れてくれないのではと。長女にはHがお腹にいたときからダウン症や心臓の病気について説明していました。彼女なりに理解をし、ただ純粋にかわいがってくれています。Hもそんなお姉ちゃんが大好きです。

Hがダウン症であると告げられた日には想像できなかったくらい、私たち家族は穏やかで幸せな日々を過ごしています。

H2歳くらいの時、長女が「Hくん、生まれてきてくれてありがとう」と言っていました。本当にその通りです。手がかかることも多いですが、H君生まれてきてくれてありがとうと心から思います。

 

皆さん、最後までご清聴ありがとうございました。