「私の子育て

 

 

ひまわり組のEと申します。現在、Eは年長児6歳のダウン症の男の子です。親子教室は、08ヶ月にりんご組から通い始め、6年目です。今は週1回月曜日に登室していまして、後の4日は認可保育園に通っています。長いようで短かったE6年間をご紹介したいと思います。

2010815日 2890g 390日でEは産まれました。

12日から13日に日付が変わると同時にお腹が痛くなり、トイレへ行くと出血していたので不安になり毎回検診を受けていた葛西にある葛西産婦人科へ電話をしましたが、陣痛10分間隔になったら来てくださいと言われ、朝を迎えてから病院へ行きました。まだ微弱だからとその日は家に帰され14日の朝、また病院へ。もう10分間隔で強い陣痛が来ており食事も取る事が出来ないほどでした。家族、親戚には陣痛がきて2日も経っているのにまだ産まれないの?と心配がられ、5分間隔になっても産道が開かず、でもいきみは強くなる一方で出血も止まりませんでした。でも助産師さんは「みんな最初はこんなもんよ」と分娩室には連れて行ってくれず放置のようにも思いました。出産経験のある方にどんな感じ?とある程度聞いて、陣痛始まりから出産までのいろいろなパターンを紙に書き出し、シミュレーションもしていたのでそこまで取り乱すこともなくひたすら耐えていたのですが、なんとも言えないこの痛みにもう限界を感じていました。

その時、旦那は何をしていたかと言いますと、タバコ吸ってくる!と言って2時間帰って来ない。そば食べて来る!と言って2時間帰って来ない。コンビニ行って来る!と言って3時間帰って来ない。時間との戦いでもあったので、毎回時計を見ながら随分長いな〜?と思いながらも何も疑わずに必死で陣痛と戦っていましたが、なんとこの陣痛の時間に友達と飲みに行っていた様です。旦那はたまたま病院の近くで飲んでいた友達と合流し飲んでおり、友達はさすがに「ここで飲んでいていいのかよ」と言ったそうですが、「全然産まれそうにもないから大丈夫〜!」と言いながら病院と飲み屋を行き来していたそうです。後で友達から聞いてさすがに呆れました。当然、文句を言いましたが、「いや、長すぎでしょ」と返されただけでした。最終的には、15日の朝になってもなかなか産まれないので、私の方から先生に「被膜して下さい」「促進剤をうってください」と指示を出し、お昼頃やっとEは産まれました!産まれてすぐ私のお腹の上に運んできてくれ、看護師さんに「触ってもいいですよ」と言われ触った時、やけに柔らかい?産まれたてだからこんなもんかな?と疑問を抱きながらその後の処置を受けていました。私にとって長い3日間でした。この戦いに私は安堵と疲れで起き上がれませんでした。一方、飲みに行き来していた旦那は、Eが産まれた頃、私のベッドでイビキをかいて寝ていたそうで、「旦那さん、産まれましたよ!」と看護婦さんが言いに言ってくれましたが、さすがに起こせなかったと言っていました。2時間後、目が覚めて赤ちゃんを見に行く事に。いろんな赤ちゃんがいる中に宇宙人みたいな赤ちゃんもおり、そこの病院は産まれたら最初に保育器に入るので、助産師さんに「うちの子あそこですよね?」と聞くと「え?Eさんの赤ちゃん目の前にいますよ!」と目をやった子はその宇宙人の様な子でした。あれ?ちょっと待って。この子ダウン症・・・と思い目を疑いました。胸が締め付けられるような、張り裂けそうな気持ちが押し寄せ信じられませんでした。自分の部屋に戻ると旦那は起きており、私に向かって「見た?ダウン症じゃない?」と言ってきました。「私も・・・そんな気がする」と認めたくない気持ちでしたが答えました。

というのは、妊娠中、2回切迫があり、8ヶ月で陣痛が始まっているとも言われ、しかしその原因は不明でした。毎回エコーで赤ちゃんの姿を見ると「キレイな顔をしていますしダウン症の心配もないですね」と、この9ヶ月言われ続けてきたからです。ただ、私はその言葉は信じてなく、産まれてくるまで分からない。誰だって産まれる可能性はあると常に思っていたので、正直びっくりでもありました。

生後2日目。熱が高いのとミルクを飲まないとの事で、本当なら夜から母子同室だったのですが、ナース室で預かると言われました。そして、次の日も熱が下がらず黄疸が強く出ているので、ここの病院では対処出来ないので他の病院へ移ります。と言われました。またまた、不安が込上げてきましたが、それと同時「染色体異常がある疑いが高いです」と告げられました。私が、「ダウン症ですよね?」と聞くと「お母さん知っているなら話が早い。だから、大きな病院で調べてもらってね」と言われました。見解としては、顔傍、両手の申線、耳の位置、肌の柔らかさ、と教えられました。そんなに当てはまる所があったら決定なのではないか。胸がそわそわしてきました。先生に「救急車で行くからお父さんすぐに呼び出して!」とすぐに電話をして来てもらいました。旦那と小さい保育器に入ったEとで救急車に乗って墨東病院へ運ばれました。すぐに光療法が施され黄疸は3日ぐらいで良くなりミルクも沢山飲むようになったそうです。とりあえず一安心ですが、まだ心の中はモヤモヤが続いていました。2週間後、血液検査の結果21トリミソーのダウン症でした。なんだかその頃には、まさか、というより、やはりという気持ちになっており、あまりショックもなかったです。というのは、Eはすくすく育っていましたし、持病もなく、健康そのもの。ただ違うのは顔つき位。なんだか、そんなEを見ていたらダウン症だからって何なの?くらいの気持ちになっており、むしろ気持ちが晴れた感じでした。旦那も旦那でたくさんの葛藤があったと思います。でも、生まれてきた我が子は可愛い!腹をくくったと言っていました。ただ・・・本当に旦那に顔がそっくりすぎて(笑)私には姉がいるのですが、血液検査の結果ダウン症だったと伝えても、「あんなに旦那さんに似ているのだから絶対違う」としばらくの間全く信じてもらえませんでした。旦那の母親も同じく、息子にそっくりなEを「うちの息子も生まれてきた時はブサイクだったけど、大きくなったら見られる顔になってきたでしょ?だからEも大丈夫よ!」と。やはり、ダウン症ということを疑わなかったですね。そんな家族に見守られてEは本当にすくすく育っていきました。

Eは黄疸になったので転院となりましたが、これが何もなく退院してたら、自分達で病院を探す事になっていたのかと思うと、恐ろしいです。そして、転院先の墨東病院で引き続き定期的な検診も診てもらえる事となりました。

2ヶ月半に入った頃、墨東病院から電話があり、ESTが受けられる事になりました。運動療法なんて、まだ動いてもいないのに?なんて思いながら行ってみる事に。先生に、「成長はどうですか?」と言われ、「もうすぐ首が座りそうです!」と張り切って答えると、半分笑われたかのように「お母さん、ダウン症のお子さんは成長がゆっくりなんですよ。普通の子の倍かかると思って下さい。」と言いEを抱っこすると先生が「この子、もう首が座ってきている!」と大層驚かれていました。「では、寝返りの練習をしましょう」と早速教えて頂きました。そのおかげか?5ヶ月半で寝返りをし始めくるくるキレイに回っていました。その後ずいばりも始まり、確か、親子教室へ入ったのはこの頃だったと思います。

病院からは、まだ体も出来上がっていないし、抵抗力も低いので人が集まる所、公共機関も極力避けて外出はしないで下さい。と止められていました。なので、どうしてもの外出(実家位ですが)には車を使いましたが、その他、どこにも出かける事はしませんでした。

そんな時、私は家で何をしていたかといいますと、とにかくこの子に刺激を与えなければ!自分から訴える事が乏しいダウン症なので暇さえあれば赤ちゃん体操を毎日していました。これは親子教室で行っている触れ合い遊びの様なものです。体を触られても嫌がることなく、Eも楽しんでやっていました。ちょうどこの頃、親子教室を紹介してもらい通う事となりました。E8ヶ月の頃です。なんとなく人見知り、場所見知りも始まり、初めの頃はずっと泣いていました。でも朝のお集りの触れ合い遊びは大好きで笑顔でやっていました。だんだん慣れてくると、給食が始まり、この頃になると自分でやりたい。自分で食べたい気持ちも出てきて、私が手を出すと怒り、毎回1回はお皿が飛んでいました。そんな時はN先生がいつもEをなだめてくれており、当時、本当にありがたかったです。

1回のペースで墨東病院のSTを受ける事となり、9ヶ月半でつかまり立ちが出来る様になりました。先生が「今日、見学したい方がいらっしゃるのですがいいですか?」と言い、部屋に入ると生まれたての赤ちゃんを抱いているお母さんがいました。特に挨拶もなく、Eが受けているのを黙って見ていましたが、私が部屋を出ようとした時、「お子さん何ヶ月ですか?」と聞かれ「9ヶ月です」と答えると「うちのお兄ちゃんより成長が早い!」と言って帰って行かれました。後で主治医の先生に聞いた話では、ダウン症のある子を産んで、まだ気持ちの中で受け入れる事も出来てない方だったそうです。でも、Eの姿を見て「あんな風に出来るようになるんだ!と勇気を貰いました。子育て頑張ってみます。」と言って帰られたそうです。あ〜こんな小さなEでも誰かの役に立てる事が出来るのだなと嬉しい気持ちになりました。

活動も活発になり、高ばいが始まると四つんばいになり虫のように動いていました。その後自力で立ち上がるようにもなりますが、そのやり方が独特で、片方開脚の状態から手を使わずに足の力だけで立つのですl。わたしも真似してみましたが全く出来ませんでした。とにかく足の踏ん張りが強い子です。そんなこともあり、1歳半の時には歩き回っていました。

この頃の親子教室での生活は私にとって癒しの場所であり、子育ての息抜きが出来る所でありました。Eも同じく思う存分甘えられる先生がいて、見たことのないおもちゃで遊び放題、みるみる大好きな場所になりました。0歳から療育を受けられる施設に入れた事。そして同じ悩みを持ったお母さん方と出会え共に共感共有し合える。私もEも基礎を作っていただけたのではないかと思います。

Eには2歳半離れた妹がいます。はじめはもう一人家族が増える事に対して理解できるか、赤ちゃん返りはないか。など、いろいろ心配していましたが、Eは自然と受け入れ心配していた赤ちゃん返りもなかったです。私のやっている事をよく見て、自分もおっぱいをあげようとしたり、お世話というより私と同じ事をしたいという気持ちが強かったのでしょう。一緒に遊べる仲間が増えて楽しそうでした。今の所、着実に成長してきている妹にいつから完全に追い越されてしまうだろう。と思っていますが、Eは妹に刺激され、妹はEをしたっており、しょっちゅうケンカもしていますが、なんだかんだお互いを尊重し合って生きているようにも感じられます。思考や言語といった頭で考えないといけない部分は追い越されてしまいましたが、運動神経、社交性はEも負けません。やはり2年長く生きている分、いろんな経験を踏んできたEの方が要領もいいです。

E4歳の時、近くの認可保育園へ兄妹一緒に入園が決まり通う事になりました。同時に私もパートの仕事を始めたので、この生活に慣れるまではめまぐるしかったです。始めは園側もEに対してかなり構えていた部分があり、入園したものの辺りは冷たかったです。ただ、うちの息子、娘はいっけん、Eがやんちゃで妹が穏やかな性格と思われがちなのですが、全く逆なので、妹が融通利かず泣き出すと、先生もお手上げで、Eのクラスに連れて行き機嫌が治まると帰る。という生活が1年間続き、また、EEの頑張っている姿をいろんな所で発揮してくれたので、どんどんEは信頼を得ていく感じになりました。今や、クラスに欠かせない存在です!とまで言って頂きありがたい限りなのですが・・・これが社会でこれが現実なのかな。と悲しい気持ちになったのは事実です。親が勝手に決めた事ですが、親子教室、保育園とどちらも嫌がらずに通ったEは本当にえらいなと思っています。

今更なのですが、我が家の子育て理論としては、出来る事を大いにやらせ、無理はしない、晴れている日は外で遊ぶ。この2点です。例えば、1歩でも歩くようになれば外に歩行器を持ち出し歩く練習をし、歩行がしっかりしてくれば足腰を鍛える為に階段、坂道、凹凸道を遊びの一つとして活用。いろいろな公園へ行きました。時には、うちの近くに荒川の土手があるのですが、そこは固定遊具はありませんが、階段、坂道、砂利道、何でもあるのでひたすら歩かせていましたね。Eにとっては格好の遊び場でした。また、遊ぶにはちゃんとした生活リズムも必要ですので。当たり前のことかもしれませんが、平日はもちろん、お休みの日も早寝早起きです。

私は、Eの成長をよく見て少しでも出来ることがあれば、この先どの様に伸ばすことが出来るかを考えてきました。子供の成長の瞬間を見逃さず、見守っていけば、自ずと今やるべき事が見えてくる様な気がします。

トイレトレーニングは2歳半から始めました。それは、朝、起きるとオムツにおしっこをしてない事が続いたからです。その瞬間をシメた!と思い、おまるを買い、11回は必ず座る練習から始めました。それと同時におしっこの時間を測り、時間でトイレへと促して行きました。この頃にはおまるにも慣れ、おしっこやウンチもおまるで出来るように。時間が出来て来ると、いよいよパンツに!最初のうちは開放感なのか1日に何回か漏らすこともありましたが、もう気長にそのうち取れるだろうぐらいの気持ちでどんと構えることに。そのうち間隔も長くなり、E5歳で完全に取れる事が出来ました。無理せず焦らずEのペースに合わせてできたからかもしれませんが、それから失敗する事は今の所ないです。

4月からは、第五砂町小学校の仲良し級に入学が決まりました。放課後等デーサービスは南砂ぞうさんクラブ。それと併用して五砂小のキッズクラブBにも入れることになりました。今年は就学に向けての1年でもあり、覚悟はしていましたが、親は本当に忙しかったです。というもの、就学相談を終えた結果、Eは支援学校判定でした。しかし、私達としては、今の保育園に入っている環境をそのまま継続したい。地域にこんな子がいるのだという事を知らせたい。何年か後には妹も入学するので一緒に通わせたい。というのが希望でした。支援学校や仲良し級の体験授業をさせていただき、どちらとも、それぞれ良い部分が大いにあり、Eも両者共に楽しんでいました。本当に悩みましたが、やれるところまでやってみよう。だめだったらその時考えようと思い、最終的には仲良し級を希望しました。実際に校長先生との面談があり、そこでは腹立たしい事も言われましたが、そのぐらいの覚悟をして入って欲しいということで、無事希望通り入学する事になります。心配は多々ありますが、親の出来る事はここまで。後は、Eの力にかかっています。今までも、新しい環境に順応して乗り越えられてきた。だから、これからもE自身で切り開いて行けるだろうと信じています。

そして親子教室もあと数えるだけとなってしまいました。親としても本当に寂しい限りですが、あと少しよろしくお願い致します。

長いお時間聞いて下さりありがとうございました。