「私の子育て

 

 

Dは、2011年1月26日に生まれました。3472g、少し大きめの元気な男の子。ですが、小児科の医師から、心室中隔欠損症との病名を聞き、心穏やかにはいられませんでした。心臓に穴が開いているという簡単な説明でインパクトの強い言葉だけが頭に残ってしまいました。成長とともに穴がふさがることもあるし、経過観察でいいよ、と退院し、しばらく私の実家に滞在することになりました。その2か月後に東日本大震災が起こりました。印西市では震度6弱の揺れ。ちょうど寝入っているDを抱えて、一気に不安が高まりました。計画停電区域に該当していたものの、頻繁に停電はなく、それでも不安で母乳は次第にでなくなり、粉ミルクで補いながら、与えていました。Dはよく眠る子でした。それでも、乳児期は朝昼晩関係ない体のリズム。毎晩深夜2時にはきっちり泣いていました。この時間のサイクルはさすがに疲れてしまいましたが、実家ということもあり、Dと一緒に眠っては起きてを繰り返していました。

 GW連休明けに東京へ戻ってきました。すぐにこちらの城東保健所の保健士さんにも連絡をして、Dの状況を伝えました。そのころ、手術に向けての検査をいくつかうけていました。病院で手を焼いた記憶はあまりありません。女の人が好きなDは、看護婦さんが美人だと機嫌よく検査を受けていました。8月下旬に手術をすると決まってから、病院側から注意をされました。風邪をひかせないようにすること、頭をぶつけるような大きなけがをしないこと。どちらも、手術関係なく日頃注意したい事柄ではありましたが、この2つの注意で私たち親子は約3か月間、引きこもって生活をしていました。本当なら天気のいい日に日光を浴びたり、気持のいい風を肌で体感させたかった。風邪をひいたら、手術が延びる。延びたらまた一から検査。とにかく一度決まった日程で終わらせてしまいたい。そんな私の気持ち、我がままといえば我がままだったのかもしれません。

ちょうどこのころ、住んでいたアパートの上の階に、Dと同い年の女の子がいて、近所の友達と遊んでいる声が聞こえてきて、天井を見つめながら「いいなぁ〜楽しそうだな〜」と思いつつ、手術が終わるまではと、私たち二人は家の中で静かに過ごしていました。

 8月下旬、手術をしました。無事に終わりましたが、なかなか集中治療室から出られなかったり、Dの体には何本もの管が巻かれていたり、つらそうな光景ではありました。その後、順調に回復。この時期には離乳食をもりもり食べていました。母子同室での入院は、ちゃっかりエアコンで涼みながらの生活でした。

 退院後、入院前と同じような注意を受けました。1か月の間は他の子との接触を避けて風邪をひかせないようにとのこと。こちらだって風邪をひかせたいわけじゃないんだけどなと思いつつ、手洗いうがいなどの予防をしていました。退院してからも、月に1度は検査をしたり、冬の間はシナジスという筋肉注射を打ったり、病院通いの生活は続きます。注射はこのころには、私よりもDのほうがたくさん打っているような気もして、少し気の毒に思いました。

 そして、このころ1歳半になるかならないかという時期、Dは特に言葉を発していないことが気になりました。喃語のようなものは聞こえてきますが、いわゆる意味のある言葉は出てきません。2歳になっても出てきませんでした。「男の子は遅い子いるわよ」「一人目でしょう?そういうものだよ」周りの人はそう言います。大丈夫、いつかうるさいくらいしゃべると自分に言い聞かせつつも、気持ちは落ち着きませんでした。保健士さんに相談し、月に1度の遊びの教室にも行っていましたが、なかなか思ってたようにはいかなかったです。でも、なんだか楽しそうに遊ぶDを見るのが嬉しかったです。全6回の遊びの教室を終えて、心理士さんから、親子教室を紹介されました。運よく枠があるといわれたので、すぐに申し込みをして見学をしました。それが、第3親子教室うみべでした。自転車を急きょ用意しました。自転車で週に1度通う登室生活が始まりました。この時一緒になったメンバーは私にとっては大事な人たちです。週に1度ですが、天井を見上げながら孤独を感じることはもうないのです。

 うさぎグループのころのD

・とにかくニコニコ笑っていた。一人遊びでは、お料理の真似の遊びがとても好きで、いろんなものを鍋に入れては混ぜていた。まだ、友達と一緒に遊ぶことはできなかった。自分が使っていたおもちゃを取られても無反応。取られたから、こっちで遊ぼうというように、取り合いの喧嘩は全くと言っていいほどなかった。リズム遊び、手遊びはまぁまぁ好きな様子。時々落ち着きなく一人で部屋中をぐるぐる走り回ってしまう。

 また、近所の児童館の幼児教室にも何回か参加したが、こちらに行くと私の気持ちがとても暗くなってしまうが、Dのためだと思って通う。暗くなる理由は、明らかにDがほかの子と違うのが目に見えるから。Dはまだ言葉を発しない。自分の名前もわからないし、返事もしない。ただニコニコ体育館内をぐるぐる走り回るだけ。さらに、毎回出席カードを返却するときに、名前を呼ばれて返事をしてカードを担当にとりに行くという習慣をDはわかっていなくて、返事のできないDにほかの子供が「ママ、あの子ハイって返事してないよ」と話をしているのを聞いて、悲しくなってしまいました。ほかの子がきちんと座って話を聞いていても、Dは広い空間を見つけると嬉しそうに走り回ってしまう。この走りたくなるという気持ちは、なにかあるんじゃないかと、私はこのころから障害という言葉を考えるようになった。また、この児童館の行事の一つに亀戸の公園での運動会があった。Dは初めて芝生の上に立ったが、これが彼にとって何らかの恐怖だったようで「うー!」とうなりながら歩くこともできずにいた。もちろんこれは、Dだけで、ほかの子は、かけっこをしてみたり、踊ってみたりと楽しそう。Dはうなるだけの時間になってしまった。天井を見上げていた頃の孤独が少しだけよみがえってきてしまいました。

 さらに、2歳半をすぎたころ、サッカー教室に参加した。もちろん、先生の言ってる意味はわかってないだろう。その証拠に、広いグラウンドを延々とぐるぐる走っている。でも、一番楽しそうにしているので、これでいいかと、サッカーをしろと怒るのではなく、転ばないように走ってねというしかなかった。

 ちゅうりっぷグループのころのD

親子教室に在籍して2年目、4月から第1親子教室に通うことになった。週に2〜3日。

このころも、ウサギグループで仲良くなった人たちと、保護者会の行事に参加したり、お休みの日に時間が合えばお茶したり等、たくさんの人に会った時間だった。Dも「ごはん」という単語を覚えた。私の体調がよくなくて、手抜き料理で「サトウのごはん」を使った。翌日、Dがそのパッケージを私のところに持ってきて「ごはん」と一言発した。Dは初めに覚えた言葉は「ぱぱ」「まま」でもなく「ごはん」だった。それから、徐々に言葉が出てきた。私がよく口にする「すみません」「失礼します」「おはようございます」「ごめんなさい」など挨拶の言葉は出てきたけど、なんか違う。自分が言いたいことを、言いたいときに、言いたいだけしゃべってしまう。言葉を発することと、それを理解しているかというのは別問題だということを、染谷先生との面談で知った。そして、時々見られる集団から目立つような不思議な行動、例えば部屋をぐるぐるまわること、変な視点から物を見ること、同じことを繰り返しすること、そういった不思議な行動から何かがあるんじゃないかと不安がつのった。しかし、普通の子として見える人もいる。「何をそんなに悩んでいるの」「なんでこの教室に通っているの?」ということを言われてしまうと、私も困ってしまっていた。言葉のやり取りができないのが普通なのだろうか。一人遊びをしているのが普通なのだろうか。友達がいないのが普通なのだろうか。一言でDはこういう子供だと言えなかったのがつらかった。少人数の同じ教室の子の顔と名前を覚え始めたとき、Dは返事をすることを覚えた。サッカー教室でも、まず無言で手を挙げることから始まり、「はい」と声を出し返事をすることもできた。先生の真似をするのが楽しいのか、次第に一人でグラウンドを走り回る回数も減ってきた。でも、Dがどんなこなのかはっきりわからなくて、私の中でモヤモヤがたまっていく。

 親子教室に在籍して3年目。奇跡的に保育園への入園が認められ、月曜日にイチゴ組、火曜日から金曜日は保育園という生活を送ることになった。私もすぐに就職先を探した。なぜ保育園にしたのか。保健所の心理士との面談で「幼稚園はおすすめできない」とはっきり言われてしまったからだ。「どうしても幼稚園なら区立の2年保育、私立幼稚園はやめたほうがいい」それはDのために挙げた選択肢だ。私自身も「ですよねー」と頷いてしまうほど、Dとほかの子には差が大きいように思えていた。保育園のほうがDに合っていると思う。私もそう思っていたので、この生活を選んだし、無事に就職先も決まった。家のこと、仕事のこと、園や教室の保護者会、何よりDのこと・・・やることが盛りだくさんあったこの1年、楽しかったけど疲労のほうが勝っていく。

 保育園でのD

・好き嫌いが多く、給食はほとんど食べないということも多々あった。誰にでも挨拶する。それが新参者のDを周りの子供たちが受け入れてくれたんだと思う。ただその行為が、1つ上の年長児からみたら、「キモイのがきた」と陰でこそこそ言われたり、陰でなくともDに直接頭をつんつんつつきながら「きもいきもい〜」と絡まれているのを見た。幸か不幸か、Dはよくわかってないので、きもいと後頭部をつつかれながらも、そのことには一切触れず、教室の反対側にいる先生に向かって大声であいさつしていた。大人からしていつもニコニコしていて癒し系だといわれていたが、同年代からしてみれば、ニヤニヤしている変な奴というように映ってしまうんだなと感じた出来事だった。

・保育園の運動会で3つのダンスを披露した。全園児による準備体操、玉入れの時のダンス、クラスで踊るダンス。正直言うと、Dがここまで踊れるとは思わなかったというくらい完璧におどっていた。彼の記憶力の良さに、すごくうれしくて、この先の園での生活にもう少し私自身が安心してもいいんじゃないかと思った。

 親子教室に在籍して4年目、週に1度のイチゴ組と残りの平日は保育園。さらに、毎週土曜日に両国のC教室にも通った。バランスをとったり、飛んだり投げたり、家の中ではなかなかできないことに挑戦している。自分には出来そうもないことを怖がって「やらない」と拒否することもあったが、それも日に日に少なくなっていく。それは普段の生活の中でも同じで、ハサミを使った工作も「やらない」と言っていた日は「一緒にやって」というようになり、今では一人でできることも増えた。年長児になって、まず考えたのは「診断名をだしてもらう」ということだ。診断がつかなかったらつかなかったでいいし、ついたらついたで何かすることがあるんじゃないかと思ったのだ。東部療育センターの先生とも話をした。就学相談でスムーズにいくように、Dを診てほしいとお願いした。その結果、自閉症スペクトラム障害と診断された。IQも平均値には届いていなかった。その結果をもって就学相談に臨んだ。その際にはウィスクを受けた。その結果も郵送してもらい、Dは何が得意で何が苦手なのか知ることができた。できることとできないことの差はなかなか大きくて、これがいわゆる不思議な行動につながっていたのかもしれないと思うと、そこまで深刻に悩まなくてもよかったのかもしれないと今ではそう考えられるようになった。

 Dの得意なこと

・集中力、記憶力がある。とくに、耳から得た情報はよく覚えるようで、動画の真似や歌を覚えるのはとても得意。わずか6歳で「ご覧ください」という言葉をすらっと出せるかといえば、出せないだろう。これもユーチューブで得た記憶なんだと思う。その他、アルファベットのおもちゃを並べて「RED」「BLUE」「GREEN」と単語を作ったりした。見て、聞いて覚える力は私よりもあると思います。

 Dの苦手なこと

・言葉の理解力、表現力は苦手なようだ。また、社会生活における暗黙の了解も身に着けることが簡単ではなさそうで、だれにでも挨拶してしまうことと関係があるように思える。いいことではあるけれど、次第に年相応のふるまい方をしてほしいと少し思っている。また、偏食が強い。何を作っても食べない。台所で泣きながら夕食を作ったこともある。私の作ったおかずには手を付けずに、ふりかけご飯・味噌汁だけを食べるDがだんだんイヤになってきた。そんな日々も保育園ではよく食べていると聞いて、保育園では頑張っているなら、家では好きなものを好きなだけ与えていこうと思うようになった。そのおかげか少しだけ食事の時間が楽しくなった。

 先日、ひまわり教室の先生との面談があった。今現在困っていることは何ですかと聞かれて、何から答えればいいのかわからなくなる。とにかく、Dにとって学校が楽しいところであるようにしたい。勉強が多少できなくてもいいんじゃないかと今はそう思う。友達ができて、楽しく過ごすのが一番いい。そのためには、D自身が、ほかの子との接し方を覚えなくてはいけない。これが不安に思うところでもある。コミュニケーションは家でもできるが限りがある。だから私は親子教室、サッカー教室、C教室、地域のお祭りなど楽しくできるものを探し回っていた。そのおかげで、駅周辺をDをつれて自転車をこいでいると、親子教室の先生や、サッカー教室のママ友、同じ保育園の子、など知り合いも増えた。このことがDにとってもいい影響になるように願っています。