「私の子育て

 

 

 

ひまわり組Aの母です。

文章を書くのが苦手でわかりづらい部分があるかもしれませんがよろしくお願いします。

 

Aを妊娠して、初期の頃のエコー検査で先生が「胎児の首に浮腫がありますね」と言いました。話を聞くと、胎児後頸部浮腫と言って、胎児の首の後ろにリンパ液が溜まり、むくんだ状態の事で厚さがあるほど染色体異常や感染症、心臓の疾患を持って生まれてくる可能性が高く、消えれば心配ないとの事でした。看護師さんに血液試験や羊水検査の資料を渡されましたが「どうしよう」という思いで頭が一杯でした。

家に帰って旦那に話すと、やはりショックだったようでだまって私の話を聞いて色々考えている様でした。

30代なかば過ぎての妊娠だったので、この子をのがしたら自分の子供ともう出会えないんじゃないがという思いがあり、お腹の子をあきらめるという選択はありませんでした。

 

なんだかんだ心配しつつも首の後ろの浮腫は消えてくれましたが、浮腫の厚さが3mm以上あると異常がある可能性が高く、Aの場合は厚さが3.8mmだったので、安定期をすぎても突然心臓が止まっていたらどうしようと夜中に起きてはお腹に手をあてて確認したり、心配ばかりしていました。

妊娠8ヶ月の頃、逆子になってしまい、ずっと戻らず、帝王切開で無事に産む事ができました。「オギャー」と聞いた時、生きていてくれた事が嬉しくて、Aの顔を見た時はやっと出会えたという感動で一杯でした。

生後すぐの検査でも心配する事は何もなく、体に異常はないとの事でした。その後も大きな病気もせず、すくすぐと成長してくれました。

ただ、胎児後頚部浮腫が出来ていたという事が何かひっかかりを感じていて、この子には何かあるんじゃないかという思いがつねにありました。

実際にAを見ていて何かおかしいと感じたのはA19ヶ月の頃、家族3人でビュッフェレストランへ行った時、隣の席に同じ年くらいの子供がいる家族が食事をしていて「何歳ですか」など話をすると「きのう2歳になったばかりなんです」と言っていました。その子は母親に「お母さん、ケチャップ!」と言い、母親が「からあげは?」と言うと「うん、食べる!」と言ってちゃんと席に座っておとなしくスプーンを使い上手に食事をしていました。その隣でAはイスの上に立ち上がって奇声をあげたり、天上をあおいで何やらブツブツと言っていたり、テーブルの上の物をいじくったり、たおしたり、まったく落ち着きがありませんでした。今まで子供はそんなものだろうと思っていたのですが、あと3ヶ月でその子と同じレベルまで成長できるのかと不安を感じました。

その他にも2歳前後のAは高い所に登る、そこからジャンプする、水が大好き、手に何かを持っていないとダメだったり、何か気に入らないとひっくり返って大泣きをする、バイバイも手が逆だったり、テレビ台に乗ってジャンプをしながらテレビを見るのが好きで、何度注意してもくり返し、ある日、バランスを崩しテレビごと落ちて、おもいきりテレビの下じきになってしまいました。大泣きをしていたのですが、ケガなどはなにもなく、ホッとしたのもつかの間、しばらすくすると、また乗って、のくり返しでした。

本物のにんじんの形が好きなのか、買って来て置いてあるのを見つけるとこっそり持ち出し、新鮮な人参がしわしわになるまで1日中にぎりつづけ、取り上げるとひっくり返ってギャン泣きで、スーパーへ行っても意味もなくずっと走り回り、名前を呼んでもふり向かず、ただただ走るのでつかまえるとひっくり返ってギャーギャー泣くのくり返しで理解に苦しむ行動ばかりでした。

毎日毎日がそんな事のくり返しでイライラしたり、母親として自信を失くしたり、死んでしまいたくなったり、子育てが楽しいなんて思えませんでした。

そんな頃、以前から発達の遅れなどで保健所に相談していた事もあり、親子教室を紹介してもらいました。通うには新学期からでないと空きがなく、すぐに通うのは難しいとのことで、A28ヶ月の4月の新学期からぶどう組に通える事になりました。

ぶどう組に通い始めた頃、朝の会ではジッと座る事が出来ず、他の子達はちゃんと座って朝の会を楽しんでいるのにAだけが泣いて暴れてひっくり返っている状態で、給食もじっと座って食べず、ほとんど給食を残していました。教室の帰りも、まだ帰りたくなかったのかなんなのか、道路にひっくり返って大の字になって暴れて大泣きし、帰り道が遠く感じました。

しばらくすると分離が始まり教室にいる時間が長くなり、お腹がすくのか少しずつ給食を口にしてくれるようになったり、家で朝の会での手遊びも楽しそうにするようになってきました。

そんなAを見ていると、もう3歳なのに何でまだこんなに大変なんだろう、いつまで続くんだろうと毎日ため息ばかりでした。

以前から自閉症なんじゃないかとインターネットや本などで調べたりしたのですが、クレーン行動、バイバイの手が逆、言葉の遅れ、落ち着きがないなどの特徴はあったものの、人なつっこい部分はあるし、私と話す時、目は合うし、よく笑うし、自閉症の独特の特徴があてはまったり当てはまらなかったり、自分の子供となると客観的に判断できなくて、ずっと気持ちがモヤモヤしていました。

そんな中2人目を妊娠する事ができました。私の年齢的にも将来A1人で生きて行く時期が早いんじゃないかと、ひとりぼっちで生きて行かせるのは心配で、もうひとり支えあえる兄弟がいればと思っていたのでとてもうれしかったです。

2人目を妊娠中、出産までつわりが続き、Aをみながらの生活は心が折れそうでしたが無事に出産をむかえました。

帝王切開だったので10日ほど入院しなければならず、親子教室と保育園の緊急一時保育を利用させていただいて、入院中旦那には親子教室の送り迎えやお弁当、朝ご飯、夜ご飯作り、そうし、せんたくなど、Aのためにがんばってもらいました。

ただいつも一緒にいた私が急にいなくなり不安になっていたのか何なのか、私がいない間ずっと良い子だったらしく、旦那がご飯を用意するとおとなしく食べ、寝る時もすぐにねむってくれて、困ってしまう様な行動はせず、ずっと良い子でいてくれた様でした。

入院中、Aに会いたいし「私の事忘れてないかな」だとか心配だったので旦那に面会につれて来てもらいました。Aに会えたのはたったの5日ぶりだけなのに、なんだか少し大きくなった様な感じでした。

「A、      元気にしてた?」と話しかけると、私の顔をみた瞬間、旦那に抱きつき顔をうずめて私を拒否し、「A、ママだよ!」と言って腕をつかむとふりはらって泣き出し、「イヤッ、あ゛っ!」と言ってさらに力をこめて旦那に抱きつき、完全に拒否されてしまいました。

なんだか5日ぶりに会えてうれしかったのにショックでしたが、Aも複雑な気持ちでどうしたらいいのかわからなくなってしまったのかなぁと思い、退院までAと会う事をがまんする事にしました。

やっと無事に退院し、家に帰って親子教室から帰ってくるAを待っていました。また完全拒否されたらどうしようと不安だったのですが、玄関に入ってくるAに「おかえり!」と声をかけると目を大きく開けておどろいた顔をし、ふだん言ってくれた事がなかった「ママ」と言ってすごくうれしそうな顔をして、ゆっくり腕を広げながら私の所に歩いて来て抱きついて来ました。

そんなAを見るのは初めてでホッとしたのと同時にうれしくて胸が熱くなりました。今でもその光景が忘れられません。

ですが、次の日から元のAにもどってしまいました。

そんなAを見た旦那に「まだ帰ってこなくても良かったのに」と私は言われてしまいました。よっぽど私のいない素直になったAとの生活は楽しくて充実していた様でした。

下の子の名前は「S」と言いますが、Sが産まれて1ヶ月半頃から新学期になり、第1のひまわり組にかよいはじめ、同時期くらいに東部医療センターでAの診断が出ました。診断名は「自閉症スペクトラム、知的障害」でした。

今までのモヤモヤが解決出来た反面、Aは将来お金をかせいで家賃を払って自炊して1人で生きてゆけるのだろうかと不安でいっぱいになりました。

その時38ヶ月だったのですが診断書の発達検査の欄を見ると運動面では3歳、言語の面では15か月、全体的に見ると年齢の半分ていどの17ヶ月でした。

やはりその頃は物が欲しい時に「とって」は言う事はできたものの「ママ」「パパ」は私が出産して帰った時以来聞いた記憶がなく、テレビで見たアニメを頭の中で再現して、何やらブツブツとお経のように言っていたりで、単語という単語はあまりでていませんでした。

そしてひまわり組に通いだして5月末頃のぽかぽか気温が暖かくなりお花が咲き始める頃、突然道に咲いている花を指さし「お花〜、お花〜」と言いました。

本物の花ともようの花がわかるようになってくれたのかと、すごくうれしいのとびっくりしました。

それからというもの、夏には「暑いね〜」と言ってきたり、雨が降ると「雨〜、雨〜」と言ってきたり、ごはん食べる前には「おてて〜」と言って自ら手を洗いに行ったり、寒い日には「さむいね〜」と言ってきたり、ひまわり組になった年は話す単語が出てくれる様になってきたのですが、会話をする事はまだまだ先のように感じられる1年でした。

次の年はさくら組でおせわになりました。幼稚園も考えたのですが、先生にそうだんしたところ「Aちゃんはそれなりには幼稚園生活はそれなりにすごせるけれど、みんながそうするからするだけになってしまい、大切な事がわからないままになってしまうから親子教室でじっくりと療育を受けた方がいい」とアドバイスをいただき、ひとクラスに1人の先生しかいない幼稚園には不安を感じていたので、週4日さくら組でおせわになることになりました。

ひまわり組からさくら組へは大人数での大部屋から少人数での小さな部屋に変わってしまうのはどうかと思ったのですが、先生に相談したところAには「大きな部屋だと情報が多すぎて、おもちゃであそぶにしても色々な物に気がちってしまったりするので、少人数の方が11人のことを認識しやすぐなるんじゃないか」という事でした。

さくら組に通うようになり、アットホームな雰囲気もAには合っていたようで毎日楽しそうにしていました。

その頃のAもまだまだ問題行動が多く、爪を血が出るまで両手両足をかんでいたり、ひまになると前髪を、特に家でなのですが、抜く事を止めてくれず、ハゲてしまったり、夜中に突然目がさめてアニメの再現をしゃべりながらウロウロしはじめたり、押し入れに登っては、ジャンプをしかってもくり返したりと大変でした。

 

そんな事もありながら先生方の愛情をもらい1年がすぎ、親子教室最後の年にまたひまわり組でお世話になる事になりました。A6歳になったこの年は今までにないくらいの成長で、できる事がびっくりするくらい増えました。今まで単語で訴える事しかできなかったのが、2語、3語になって会話っぽくなってきたり、自分の名前の「〇〇〇〇〇〇(ひらがな)」が書けたり言えたり、トイレでオシッコやウンチを普通にできる様になったり、他にも数えきれないぐらい増えました。

Aに「大好き」という言葉をおぼえさせたかったので、ことある事に「Aちゃん、大好き!」とAをギュッと抱きしめていると、ある日突然、私を後ろから抱きしめて「Aちゃん、大好き?」と聞いてくるようになり、「SちゃんがAちゃんの事、大好きだって」と言うとニコニコして「Sちゃん、大好き」と言って、Sを抱きしめてチュッとしていました。

Sのお世話もすごくしてくれる様になり、靴下をはかせてくれたり、くつをはかせてくれたり、手をつないで歩いてくれたり、Sのイヤイヤがすごく、私がイライラしはじめると、それを察してSの頭をなでながら「だめ、だめよ」「おしまいよ」と言いながら、おこっている私の顔をのぞきこみ、変顔をして私を笑わせようとしてくれたりします。

AにとってSは心の成長につながる大きな存在になっているんじゃないかなと思います。

親子教室に通い始めた頃は、Aがここまで成長してくれるとは想像できなかったし、子育てが楽しいなんて思えなかったのですが、今は理解力も身についてきてくれて、わからなかったり、話がつうじなかったりで、かんしゃくやパニック的な事がなくなってきてるので、Aの子育てはとても楽になってきて、楽しくなってきました。

小さい時のAよりも、毎日毎日かわいくて愛おしさが増しています。

以前、心理の先生に「Aは毎回、心理の検査の結果が実際の年齢の半分の精神年齢なのですが、20歳にったら10歳くらいの精神年齢になるんでしょうか?」とお聞きしたところ、「10歳はかなりレベルが高く、20歳になったからといって10歳は難しいかもしれない」と言っていました。聞いたときはやはりショックでAの将来に不安を感じ、これから先もしっかりと療育や教育を受けさせる大切さを感じました。

4月から特別支援学校で放課後デイサービスはTへ通う事になりました。

私にとってもAの新しくなる生活は心配や不安や期待でいっぱいですが、また新しく出会う先生方のお力をお借りして、A20歳になった時、少しでも精神年齢が10歳に近づくくらい成長してくれればなと思います。

話が長くなってしまいましたが、聞いていただいてありがとうございました。